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トークライブというメディア

(1)80年代の講演会

 昨年から未来フェスを含めて、各地でスピーチをすることが多くなった。
もともと僕は文章の人間なので、20代30代とただひたすら原稿を書いてきた。文章を書くことが考えることであり、文章を書くことで新しい発見をし、文章を書くことで多くの人と出会い、関係を築いてきた。

 最初の講演というか、トークライブは、覚えている。それはロッキングオン時代の1978年ごろ、渋谷のクロコダイルでやったものだ。その頃は、いくらでも、どんなテーマでも原稿を書けるようになっていたので、その調子で話せばよいのだろうと思って、臨んだら、悲惨なことになった。2時間くらいの予定だったが、10分も話したら、もうネタがつきてしまい、頭が真っ白になり、おたおたの状態になってしまった。トークは文章書くのと全く違うもので、時間の上でパフォーマンスするものであることを知った。

 80年になって最初の単行本を出すと、今まで知らない世界の人たちから、講演の依頼が来るようになった。マーケティグの仕事や、日経新聞社や日経BP社で書籍を出すようになると企業や業界団体からの依頼も増えた。企業向けのセミナー屋さんからの依頼も増えて、新しい書籍を出すたびに、「今回の本の内容を講演してください」というように毎回誘われたりもした。

 電通や博報堂などの代理店経由で、見ず知らずの業界や団体からの依頼も増えた。佐賀銀行の支店長研修を仕切ってくれと言われて、数日間の連続講座を行ったり、日産自動車の新車発売のためのディーラー研修会もやった。電話で「ニホンホウソウキョウカイですがホウソウの未来についてご講演をお願いしたい」と来たので、てっきり「日本放送協会」かと思ったら「日本包装協会」で、パッケージの業界団体だった。銀座の王子製紙の向かいに「紙パルプ会館」というものがあって、そこで「包装」はやがてどうなるか、というテーマで講演やったのである。全日本漬物共同組合というところで「漬物の未来」について語ったこともある。京都の呉服屋組合で「着物の未来」について語ったこともある。和服来た京都の呉服屋の旦那衆たちが観客で、終わったあとに先斗町でごちそうになった。

 代理店には、講師候補の名簿があって、自動車関係ならあの人、ファッションならあの人と、芸能プロダクションのようなブッキングシステムがある。僕の場合は、「誰に頼んでよいのか分からないもの」というカテゴリーだったのではないか(笑)

 おかげで、さまざまな業界の人たちと知り合い、講演がきっかけでリアルな仕事に結びついたことも少なくない。関係が出来ると、外側からしか分からない業界内部の現実や問題点が見えてきて、ものすごい人生勉強になった。僕が今でも、一般の人よりさまざまな事象について語るべきものを持っているとしたら、本やインターネットで仕入れた情報ではない、さまざまな世界のリアルに触れてきたからだと思う。

 2000年になって、電通はマーケティング局を廃止した。80年代、90年代は、日本のマーケティング業界の黄金時代だと思う。その時代の中で僕はさまざまな企業と関わり、優れた人たちと情報交換を出来た。そういう流れが、21世紀になって一気になくなった。新しい商品やサービスを開発するよりも、集中と選択で、今やっている事業をより効率的に利益を上げるソリューション・マーケティングに変更したのである。アメリカのコンサルティング会社の影響だと思う。

 90年の末に、博報堂は、社内に「21世紀委員会」というのを作った。これは、博報堂の役員がひとりずつ、自分のセクションの中から有望な若い人材を選び、そこで集まった人だけでチームを編成し予算をつけて、それぞれの業務を外し、21世紀の博報堂をデザインすることだけに1年間、集中させるというプロジェクトである。営業担当役員は、営業部員から、クリエイティブ担当の役員はクリエイティブから、経理担当の役員は経理部から、その役員がもっとも期待する人材が集められたのである。僕もその委員会の勉強会に講師で呼ばれた。21世紀委員会の方式は、当時の発想としては素晴らしいものだったと思う。集まった人たちも素晴らしい人達で、その後、退社した人もいるけど役員になった人たちもいる。この方式の素晴らしいことは、自社の優秀な人材が一年間、クラスメートになるということである。一緒に学びながら、帰りにみんなで一杯やる関係になる。それは、その後の会社運営に大きな力になる「同窓会」になるだろうと思った。僕は、「21世紀委員会」の発想を他社に営業すればよい、それが世紀末ビジネスとして日本の企業に必要なことだ、と訴えたが、どこもやらなかったな(笑)

(2)講演会は音楽ライブ

 さて、僕は、1978年の最初のトークライブで大恥をかいて、しばらく、人前で話すのが嫌になった。しかし、80年になってから、そういう機会も増えて、話さなければならない場面が増えてきた。

 最初は、話す内容をシナリオにして、そのままやったのだが、なんだか、「話す機械」みたいな意識になって、少しも面白くない。しかし、ぶっつけ本番だと頭が真っ白になる。
困っていたが、ある時、ひらめいた。「そうか、これは講演ではなく、ロックのライブだと思えばよいのだ」と。

 僕は少しずつ、自分のネタを楽曲としてためていくことにした。それで講演を頼まれると、その楽曲(ネタ)を組み合わせて、その場に合わせてライブやればよいのである。文章は同じネタを何度も繰り返すと商品にならないが、音楽は、同じ楽曲をいつもやっていても、問題ない。その場の雰囲気で、「今日はのってたな」とか「今日は寒いな」みたいなものになる。これに気づいてから、講演が楽しくなった。「イントロはスローに入って、山場を作って、更に最後に大ネタをもってくる」とか「最初からシャウトして、バラードで終わる」みたいな、セットアップリストが作れる。これなら、同じ楽曲(ネタ)をやって、同じ人が聞いていても、納得させられる。単に、普通の講演やって情報だけを伝えていたら、「その話、前に聞いたことあるよ」と幻滅させてしまう。僕のは違うのだ、同じネタでもその時、その気分で、時代にぶつけていくロックなんだ(笑)

 今では、特に用意しなくても、観客の顔色を伺いながら、セトリを決め、反応次第で別の曲もやれるようになった。

 しかし、肝心の講演会のお誘いが21世紀になってから、減ってしまった(笑)

(3)ソーシャルのステージへ

 21世紀になって、インターネットが飛躍的に発展すると、企業や業界団体の勉強会や研修会は衰退したと思う。もちろん、セミナーや研修事業は、現在でも、頻繁に行われているが、80年代90年代のような、本質的な事業や製品に対する探求は行われず、流行現象の解説や、コーチング的なスキルアップ講座のようなものばかりだ。かつては、世の中の先端的な情報は、マーケッターやトレンドスポッターみたいな人たちが握っていたけど、今は、インターネットがその役割を担っている。高いお金を払ってコンサル雇っても、インターネットで調べられる以上の情報を得られるとは思っていないだろう。

 学校の講師の方は、継続してやっている。80年代には、宣伝会議のコピーライター養成講座やエディタースクールでの講師になった。90年になって、横浜の神奈川情報文化専門学校(現在のアーツカレッジヨコハマ)のマルチメディア化のプロデュースを頼まれ、授業もやることになった。その後も、武蔵野美術大学や代々木の日本デザイン専門学校などで講師になり、現在は多摩大学で教えている。学校での授業は、教育というよりコミュニティ作りだと思っている。(この話はまた別に)

 僕への企業や業界団体からの講演依頼はなくなった。その代わりに増えたのが、ソーシャル系のNPOや法人からの依頼である。みんな営利を目的としていないので、基本的に貧乏なので、アゴアシ(旅費と宿泊費)は出るが、報酬はないという場合が多い。昨年は、TEDx札幌や、熱中小学校の十勝に呼ばれた。

 未来フェスは参加型のトークライブフェスなので、基本的に登壇者への謝礼や交通費はない。ただ、主宰者がどうしても来て欲しいとリクエストした場合は、交通費程度のアゴアシは出す場合もある。

 地方行政からの講演もある。この場合は税金から実費が支払われる。地方行政のセミナー専門の講師派遣代理店があって、そこから頼まれると、会場の場所だけ教えてもらって、あとは全部自分でやる場合が多い。ただ、こういうところに参加する人は、社会参加に消極的な人たちが多そうで、盛り上がらない(笑)

(4)報酬の考え方

 昔、ロッキングオンをやってる時に、渋谷陽一にある大学の学園祭から講演の依頼が来た。その時、学園祭の運営委員の学生が「ギャラなんですが、5000円でお願い出来ないでしょうか」と少ないギャラで申しわけないという顔つきで話した。渋谷は、その時に怒った。
「君ね、僕はプロで、きちんとした報酬で講演をやってきているんだよ。だから、同じことを学生だからと言って安くしたら、ちゃんとした報酬を支払ってくれる人に申し訳ないだろう。だけど君がロックのことをちゃんと考えていて、僕が君の考えに賛同すれば、お金なんかいらないで応援するよ。タダにすると、きちんとした報酬を支払うか、どちらかにしろ。中途半端なお金で、ごまかそうとする奴が大嫌いなんだ」というようなことを言った。渋谷に惚れた(笑)

 ということで、僕にタダで講演を頼む人は、それだけの情熱的なプロポーザルをしてくれ。企業などで講演を依頼する人は、そちらの規定でよいので、正当な講師料を提案してください。

(5)ライブ爆進中

 とにかく、僕の講演はライブ活動なので、今年から、あちこちでライブをやる。楽器も弾けずに歌もヘタなので、文章でロックやろうと思ったのがロッキングオン創刊の理由なのだが、楽器も弾けないがロックのライブはやっていきたい。シャウトして死にたい(笑)覗きに来てね。

新年あけましておめでとうございます。

2019年 正月元旦

21世紀の最初の子どもたちも、19歳。もうすぐ成人です。
平成も終わり、昭和の時代は、平成の壁の向こう側に追いやられます。
新しい時代の人たちにとって昭和とは、昭和を生きた者にとっての明治にのような感覚になるのでしょう。

昭和の体質、習慣、作法などが、克服すべき悪癖として、問題になってきています。企業や教育現場でのパワハラ。閉鎖的な集団の中での小さなカリスマが引き起こすセクハラ。個人のキャラクターの問題もありますが、日本社会の組織の持つ本質的な支配構造にも多きな要因があると思います。そして、それは組織の問題だけではなく、組織を構成する一人ひとりの個人の自立性が問われているのでしょう。

「20世紀は組織と組織の戦いの時代」であり「21世紀は個人と個人の戦い(コミュニケーションも含む)の時代」になり、現在は、その過度期として「組織と個人との戦いの時代」なのだということを、21世紀になってから、言い続けています。圧倒的な組織のパワーにめげることがあっても、最終的には「自立した個人の時代」がやってくる、ということを信じて、生きてきたし、これからも生きていきたい。そうした信じられる個人たちのネットワークによる「参加型社会」の実現を、あらゆる方向から模索し、少しでも現実化することが、僕の人生の役割であり、次の時代に委ねたいものです。

新しい年を迎えて、まだ会えていない志を同じくする友人たちのことを想い、
多くの信頼する仲間たちと共に、新しい時代のステップを刻んでいきたいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

柔らかい時代に向かって

1990年代に本格的にスタートしたインターネット文明の流れは、西洋暦の世紀末のタイミングに合わせて、世界の政治・経済・文化・生活のあらゆる領域においてパワーシフトを実現しました。20世紀は、国家においても企業においても、具体的な領土や市場の拡大政策により、さまざまな戦争が発生しました。社会の主役は、国家・企業という組織の時代でした。

組織中心だった人類の文明の歴史が大きく変わろうとしています。インターネットの本質は、組織と組織の関係と交渉で出来ていた社会構造を終焉に向かわせ、個人と個人のそれぞれの関係性を充実させる方向に向かわせることにあります。

もちろんそれは簡単なことではありません。国家や企業組織は、人類の歴史の中で生み出した成果であり、さまざまなノウハウがつまっています。しかし、人類が近代の次の社会構造を目指すのであれば、これまでの経験を捨てたところに、新しい可能性が見えてくるのだと思います。

生命は、海で生まれ、やがて陸にあがり、大地の上に村を誕生させ、国家に発展してきました。そして、私たちは、次の基盤に移ろうとしているのです。それが情報化社会です。情報の海の中で、一人の人間が一人の人間と交流し、新しい文明を生み出そうとしているのだと思います。

人類は新しい可能性は、まだはじまったばかりです。まだまだ古い構造の支配力は強く固いものです。しかし、大きく強いものは、やがて、大きく強いことが限界になって自己崩壊していくでしょう。柔らかく素早い個人だけが、情報の海で新しい生態系を創り出せるようになると思います。海はいつまでも柔らかく生命を包みます

橘川は10代の頃からそういう想いと願いをもって生活してきました。あと、どれだけ、何が出来るか分かりませんが、平成が終わる、日本の世紀末の中で、若い人たちと、一緒に「未来」を模索する活動を進めていきたいと思います。私塾「リアルテキスト塾」は、そういう場です。参加・合流を期待いたします。

▼リアルテキスト塾。

▼リアルテキスト塾・20期生募集。

▼新年のごあいさつ